独り言☆
今年も残すところ後わずか...
皆さんの今年はどんな1年だったでしょうか?
僕の今年1年は怒涛の1年となりました。
お店をオープンさせて早いもので9ヶ月。過ぎてしまえば、まだ9ヶ月ですが、あまりにもたくさんの色々なことがあり過ぎた2010でした。
良いことも悪いこともありすぎて12月まで体力が続かずヘロヘロになりました★何はともかく何とか年越し出来そうです。
お客様との話の中で僕がこの業界に入ったキッカケを振り返ってみる機会があり、『あぁ、そういえばそんな始まりだったなぁ..』って改めて思い返しボヤキたくなりました。
僕は高校卒業後に社会人になりましたが、専門学校(美容関係)に行く為の学費を稼ぐのにとりあえず適当な仕事をかけもちをしたり転々としていました。
当時の僕はバイクが好きで『車はいらない』なんて思っていたくらいです。
"カフェレーサースタイル"が好きでバイクのカスタムには人一倍のこだわりを持っていましたし、『人と同じじゃつまらない』っが常にありました。
ただ、周りのバイク時代の仲間達は車一色に変わり"ドリフト系"・"バニング系"・"軟派車系"・"V.I.P系"と乗り始めバイク<車でした。
興味が無いということもありましたが、当時の仲間内では18歳で車の免許すら持ってないのは僕ともう一人だけとなっていました。
その後無事に、ローライダー業界では名の知れたSHOPで働くこととなり、当時の時代の波に乗ったローライダーは流行りに流行り、一週間に僕の技量でですが、2~3台のペースで世にローライダーを送り出しました。(ほぼ毎日が徹夜作業)
通勤の行き帰りでSHOPのステッカーをフロントガラスに付けた車を見かけることが頻繁に多くなり、『おっ、俺が組んだ(ハイドロを)車じゃん』と得意気だったのが、いつしか『自分には無い(ハイドロが)のに他人のばかりつけてんだ?』と思い始めました。
書けば書く程、長くなってしまい書ききれなくなるので省略しますが...
色々ありその後、そのSHOPを辞めることになりますが、(退社後ですが無事に自分の車にも取付けること(念願のハイドロ)が出来ました☆)
時は早いもので自分でハイドロを取り付けられる様になった時には、二十歳を越えていました。専門学校への気持ちも薄れていたことも事実ですが、何より願書を取りに行った時に言われたギリギリの年齢になってしまったことが美容関係の道を諦めることに拍車をつけました。
決してマイナスな感じではなく、この道(車の仕事)を極めたいと思う気持ちが強くなったのもこの頃でした。
カスタムから入ったので普通の車を知らなかった僕は、次にカスタムペイントを自分の車にしたかったので、基本から覚える為に板金塗装の仕事に移りました。そこからは、周り(友達)に車屋さんと思われるのか、エンジンが掛からない。オーディオの調子が悪い。変な音がする。などと本当によく連絡が来るようになりました。
僕が毎回決まって言うことは『ヘコミや傷は直せるけど、修理は出来んよ』
板金工も整備工も一般の人からしたら車屋さんなんだなぁと、その時思い知らされました。
全てに置いて言えることでは無いのですが、板金は自己満足の為に出す。
整備は困っているから出すと言う根本的な違いが大きいです。
傷やヘコミは我慢出来るが、調子が悪い車は乗れない。だから直ると感謝をして頂ける。
でも基本、板金は直しても粗を探す人が結構います。
ココのチリがずれてない?色が合ってない!とか言われたりもします。
そもそも板金は直って当然と思われてるみたいです。
自分の車にもカスタムペイントでオールペンをした頃には、板金塗装の業界に魅力を感じられなくなっていました。
どぉせやるなら、"少しでも人から喜ばれる方が良い"と思い整備の道にシフトしました。どちらかと言えば僕にはこちらの方が合っている様で充実感が感じられる世界でした。
気が付けば、今にいたると...
最後はかなり省略しましたが、こんな感じで突っ走って来た僕が僕の持っている力で、どれだけ人の為になれるのか、どれだけの人に喜んで貰えるのか、少しでも多くの人の為に自分を提供出来るのか、これからの全ての自分を掛けて頑張って努力して行きたいと思って今を生きています。
こんな話をするつもりではなかったんですけど...これはこれで。
皆さんの今年はどんな1年だったでしょうか?
僕の今年1年は怒涛の1年となりました。
お店をオープンさせて早いもので9ヶ月。過ぎてしまえば、まだ9ヶ月ですが、あまりにもたくさんの色々なことがあり過ぎた2010でした。
良いことも悪いこともありすぎて12月まで体力が続かずヘロヘロになりました★何はともかく何とか年越し出来そうです。
お客様との話の中で僕がこの業界に入ったキッカケを振り返ってみる機会があり、『あぁ、そういえばそんな始まりだったなぁ..』って改めて思い返しボヤキたくなりました。
僕は高校卒業後に社会人になりましたが、専門学校(美容関係)に行く為の学費を稼ぐのにとりあえず適当な仕事をかけもちをしたり転々としていました。
当時の僕はバイクが好きで『車はいらない』なんて思っていたくらいです。
"カフェレーサースタイル"が好きでバイクのカスタムには人一倍のこだわりを持っていましたし、『人と同じじゃつまらない』っが常にありました。
ただ、周りのバイク時代の仲間達は車一色に変わり"ドリフト系"・"バニング系"・"軟派車系"・"V.I.P系"と乗り始めバイク<車でした。
興味が無いということもありましたが、当時の仲間内では18歳で車の免許すら持ってないのは僕ともう一人だけとなっていました。
その後無事に、ローライダー業界では名の知れたSHOPで働くこととなり、当時の時代の波に乗ったローライダーは流行りに流行り、一週間に僕の技量でですが、2~3台のペースで世にローライダーを送り出しました。(ほぼ毎日が徹夜作業)
通勤の行き帰りでSHOPのステッカーをフロントガラスに付けた車を見かけることが頻繁に多くなり、『おっ、俺が組んだ(ハイドロを)車じゃん』と得意気だったのが、いつしか『自分には無い(ハイドロが)のに他人のばかりつけてんだ?』と思い始めました。
書けば書く程、長くなってしまい書ききれなくなるので省略しますが...
色々ありその後、そのSHOPを辞めることになりますが、(退社後ですが無事に自分の車にも取付けること(念願のハイドロ)が出来ました☆)
時は早いもので自分でハイドロを取り付けられる様になった時には、二十歳を越えていました。専門学校への気持ちも薄れていたことも事実ですが、何より願書を取りに行った時に言われたギリギリの年齢になってしまったことが美容関係の道を諦めることに拍車をつけました。
決してマイナスな感じではなく、この道(車の仕事)を極めたいと思う気持ちが強くなったのもこの頃でした。
カスタムから入ったので普通の車を知らなかった僕は、次にカスタムペイントを自分の車にしたかったので、基本から覚える為に板金塗装の仕事に移りました。そこからは、周り(友達)に車屋さんと思われるのか、エンジンが掛からない。オーディオの調子が悪い。変な音がする。などと本当によく連絡が来るようになりました。
僕が毎回決まって言うことは『ヘコミや傷は直せるけど、修理は出来んよ』
板金工も整備工も一般の人からしたら車屋さんなんだなぁと、その時思い知らされました。
全てに置いて言えることでは無いのですが、板金は自己満足の為に出す。
整備は困っているから出すと言う根本的な違いが大きいです。
傷やヘコミは我慢出来るが、調子が悪い車は乗れない。だから直ると感謝をして頂ける。
でも基本、板金は直しても粗を探す人が結構います。
ココのチリがずれてない?色が合ってない!とか言われたりもします。
そもそも板金は直って当然と思われてるみたいです。
自分の車にもカスタムペイントでオールペンをした頃には、板金塗装の業界に魅力を感じられなくなっていました。
どぉせやるなら、"少しでも人から喜ばれる方が良い"と思い整備の道にシフトしました。どちらかと言えば僕にはこちらの方が合っている様で充実感が感じられる世界でした。
気が付けば、今にいたると...
最後はかなり省略しましたが、こんな感じで突っ走って来た僕が僕の持っている力で、どれだけ人の為になれるのか、どれだけの人に喜んで貰えるのか、少しでも多くの人の為に自分を提供出来るのか、これからの全ての自分を掛けて頑張って努力して行きたいと思って今を生きています。
こんな話をするつもりではなかったんですけど...これはこれで。